言いたいことを一言で
この記事は長いので、言いたいことを一言でまとめることにする。
上から決めて下に浸透させるウォーターホール経営ではなく、 マネージャーがスクラムを組んで自ら動けるような経営OSに変えよう
という話だ。

AIによる要約スライドも貼り付けておくが、わかるようでわからないのではと思うので、じっくりと読んでもらえると筆者としては嬉しい。以下見ていこう。
今日のテーマのきっかけ
「マネジメントを中心としたスクラム経営」なるタイトルにしようと思ったのはなぜか? それは、この仕事を始めて、いろいろな人と話す中でずっと言葉にならなかった違和感が、ようやく朧げながら言葉になってきたからだ。その違和感を少しづつ言葉にし、思考したことを今回は書いてみることにする。
私が感じているのは以下のような違和感だ。
- ”上”が決めたことを”下”に浸透させる、ということに経営陣や経営スタッフ(人事や経営企画など)が躍起になっている (例:評価制度をマネージャーに浸透させ、やらせきる」と強く語る人事部長)
- 「浸透を図る人 vs 浸透を図れられる人」の対立があちらこちらで繰り広げられていて、「顧客への貢献・結果としての収益獲得」という企業活動の本流から外れたところで、会社のエネルギーが費やされている (例:評価制度を浸透させたい人事と、事業活動を優先したく反発する事業部の対立)
- 浸透させることや、実行させることが目的になっていて、本来何のためにそれをやっているのかが見えなくなっている(例:新評価制度を各マネージャーが理解し実行するように奮闘している当の人事担当が、「評価とはそもそも何のためにやるのか?」「なぜ評価制度を刷新するのか」という根本的なことについて考えておらず、浸透のための浸透になっている。各マネージャーももちろん理解しておらず、運用のための運用になっている。)
このようなことなのだろう。
上記の例では、評価制度の全社的な浸透を図ろうとする時によく起こるだろうことを書いた。 マネージャーが評価を軽視し、運用を手抜きするその怠慢を目の当たりにし、人事は「やらせきる」と息巻く。同じ会社の仲間に対して敵をねじ伏せるような、企業活動の本流とは別のベクトルで使命感に燃えてしまう。
そして、「浸透する側」「浸透される側」の激しい対立が本来はあるのだろうが、その対立を覆い隠すかのような打ち手がそれぞれの側で打たれる。現場では、一応シートに埋めるけれども中身のないテキストを記入するだけの”運用しているふり”が横行する。人事は経営に対して、”シート記入率”という実態を語っているようで何も語っていない、しかしとてもわかりやすくて美しい玉虫色の数値報告を行う。それで、会社としては新人事制度が運用されたことになる。そういう物語でハッピーエンドになる。
こんな”臭いものに蓋をする”ようなことを繰り返していて、その会社は、そしてこの国は、本当に大丈夫なのだろうか?大手だろうがベンチャーだろうが、この例のようなやり方をしていては、シンプルに「意味(つまり実り)がない」と思う。大変な仕事かもしれないが生産的ではないと思う。 だから、私は、「仕方なくそうなるのかもしれないけど、そうなるならば、そもそもそのような施策を辞めればいい」と率直に思う(初対面の人には面と向かっては言えないけれど・・)
ただでさえ生産年齢人口は減るのだろうから、他にやるべきことはいくらでもあるはずだ。
”上”で、計画されたものを、激しい対立になんとか蓋をしながら、順番に、順番に、”下”におろしていく・・このやり方が、今の変化が激しい時代に合っていないことは自明だろう。
上記の例では、誰のためにもなっていない施策に、経営とマネージャーという”会社の柱”が燃え上がらんばかりのエネルギーを使っているのである。
ウォーターホール経営とマネジメント

経営の構造を自分なりに整理し図に示した。まず、パーパス(運営目的)があり、ビジョン(目的に沿って活動した結果の理想状態)、ミッション(主要な活動方針)がある。そして、そのミッションを実現するために、バリュー(集団の共通価値観)と事業がある。ミッションとバリューは、事業内容そのものやその成否に大いに影響がある。 そして、その事業を実現するために、ファイナンス(お金)とオペレーション(活動)がある。 ちなみに、ファイナンスを統括するのがCFOであり、オペレーションを統括するのがCOOである。CEO、CFO、COOがミニマムの経営チームなのだろう。

オペレーション以下も見ていこう。オペレーションには、4つの要素がある。
- 戦略(どういう作戦で事業を成長させるのか)
- 組織構造(どういう組織体制で臨むのか)
- キャスト(組織体制に誰をどれくらい当て込むのか)
- 仕組み(戦略や組織をどういう仕組みで動かすのか)
この4つの項目で、会社としてやるべきことを定めていく。

経営により定められた施策がマネージャーに落とし込まれ、マネージャーは実行責任者として自チームにその施策を浸透させ、運用する。
この経営スタイルにおいて、マネージャーというのは、決められた全社オペレーションを回す実行担当であり、その行為をマネジメントと呼ぶ。「管理」「統率」のようなイメージの言葉がしっくりくるような仕事だ。
実に綺麗に構造化されている、この「上から構造的に決めて、下に浸透させ実行させる」一方通行の経営スタイルを私はウォーターホール開発になぞらえて”ウォーターホール経営”と呼んでいる。 経営は仕組みが全てだ、というような主張は概ねこのイメージと同じような感じだろう。

ウォーターホールがダメでアジャイルが良いなどは当然、開発であってもそれ以外の分野でも、言い切れるものではない。ウォーターホールのような計画統制型のプロジェクト運営は、「答えが見えている時」にその力を発揮する。答えが見えている時は、迷うことなく、試すことなく、ゴールにまっすぐ向かう計画をたて、それを実行することが最短かつ最良のルートになる
一方で、ウォーターホールの弱みは、不確実性への対処だ。不確実な状況の中で答えが見出しにくい際は、早く試して早く失敗して早く学んで早く改善して、というサイクルをいかにスピーディに、質高く回せるかが重要であるが、あらかじめ大きな計画を立てその計画を守るような進め方では、スピーディな試作〜失敗〜改善のサイクルは回しにくい。
ウォーターホール型の経営では、現場で起こっている変化の兆しを掴む、その後にクイックに計画に反映させる、ということが難しい。

加えて、ウォーターホール型経営では、「浸透する側」と「浸透される側」という2サイドを生むことになる。この構図において、マネージャーは板挟みになる。浸透する側の経営からはやって欲しいと要望を受け、なぜやらなければならないのかと腹落ちしようがしまいが、自チームのメンバーには言葉にならない言葉でやって欲しいと要望する。メンバーからは意味不明だと反発を受け、それに全力で向き合いあながら、最後は人間力なのか何なのか、なんとか取りなし運用に乗せる。「罰ゲーム化する管理職」とはこのようなことでもあるのだろう。

さらに、ウォーターホール経営の決定的な弱点がある。それは、「不確実な時代においては、各セクションで課題がバラバラになる」という点への考慮が欠けた全体一律施策になりがちなことである。決めた枠組みを下すことで経営はやり切った感はあるかもしれないが、不確実性が高まれば高まるほど、それが現場の課題とフィットしないことも起きてくる。
横串施策というのは、ある部門にとっては課題解決になっていても、ある部門にとっては今はどうでも良いことになり得る。ウォーターホール経営を強めれば強めるほど、その部門にどんどん”施策負債”を積むようなことにもなるのである。
経営者や、経営に近い職種である経営企画や人事の方々とお話をしていると、経営の世界はまだまだウォーターホールが主流というか、ほぼ全てだなと感じる。経営「している側」は、何か1つの枠組みで多くのことを解決したような気持ちになるかもしれないが、実際はそうではない。不確実性の高いこの時代においては、それがマネージャーを苦しめ、部門の負債を増やし、成果を下げる要因にもなるのである。
組織のコンセプトとウォーターホール
ウォーターホール経営以外の方法などあり得るのだろうか?それがあり得ないとするなら、組織のコンセプトがそうさせている。
ウォーターホール経営を推進する組織では「役割分担」が前提だ。経営は経営計画を作り示す、経営企画は経営業務をサポートする、人事は人事をやる、事業部は事業を運営する・・・そのような、工場のようなベルトコンベアーが組まれている。
ベルトコンベアーであれば、上から下へと工程が流れてくる中で、それぞれの構成員は自分の担当業務だけを渡され、その目の前の作業に集中するだけになる。意識が高いある構成員は自分の担当業務ではなくベルトコンベアーの全体像にまで意識を向けるかもしれないが、やはりその場に立ってその業務をやる、という仕組みなのであれば、そのようなことが発生するのはたまたまであり、構造的には発生しない。ベルトコンベアーを組んだ時点で、経営はウォーターホール化してしまう。
ではどうすれば良いのだろうか?社員が1000人いたら1000人全員社長になり、経営から現場実行まで1000人でやろうとでも言うのだろうか?ウォーターホール以外の経営はあり得るのだろうか。この問いが、スクラム経営について考えるきっかけになった。
マネジメントがスクラムを組む世界線

「オペレーション」の部分を「マネジメント」に変え、マネージャー全員がスクラムを組んでいるような世界を概念として想像できないか。この時、マネジメントは「求められるアウトカムをチームで生み出す行為」を刺している。
オペレーションを設計する経営側、それを下され実行するマネージャー側、という分割されたものではなく、マネジメントという、各部署の役割(人事、経理、営業・・・etc)とは別の”経営機能”をそれぞれのレイヤーで果たしながら連携していくイメージだ。このような世界が実現できれば、「浸透する側」「浸透される側」という2項対立は生まれないし、現場での変化の兆しはスクラム(マネジメントチーム)に反映されるし、スプリントのような改善サイクルを回せば決めた施策に拘泥することなくアジャイルに変化させながら経営することができる。

スクラムを組むためには、マネジメントとは何のために何をやる仕事なのか、全員の認識が一致していることが重要である。ラグビーでスクラムが組めるのは、勝利条件とやるべきことが全員の「共通基準」として存在しているからだ。ビジネスでも、何を目的に何を成すべきことなのか、構成員の認識がバラバラでは、そのチームはスクラムは組めない。
営業、経理、開発、人事、総務、経営企画、マーケティング・・・もちろん、各マネージャーには、各部門には、役割がある。それがなければ非効率だし、集団で動く意味がなくなる。しかし、”それだけ”ではスクラムにならない。「マネージャー」という”経営機能”の側面に焦点を当て、その機能は何のために存在し何をすることなのかを明確にする。そうして、役割を超えたマネジメント・スクラムを可能にするのだ。
「マネージャー」という共通機能に焦点を当てず、ただ役割管理職としての側面だけを語ると、異なる役割がただ並んでいるだけであり、役割を果たす上での業務連携以外は発生し得ない構造である。マネージャーという共通の機能を構成する要員であれば、その機能を果たすための行為を一緒にやる。それがスクラムだ。

EVeMでは、マネジメントができている状態を測る4つの基準(やるべきこと)、「執行」「活用」「伸帳」「連携」を示している。

この4つの基準は、私の主義や信念を元に作成したものではなく、アウトカムとの関係において極めて合理的に見出したものである。

そして、仮にこの4つの基準で評価されるとすれば、その評価ウェイトはどのようなものだろうか?それは個々のマネージャーがおかれている状況よって異なる。事業が危機に瀕していれば執行100%、残りはやらなくて良い、なんていうシーンがあり得るかもしれない。この評価のウエイト(比重)は、そのままそのマネージャーの意識・工数をどこに寄せるべきかという優先度を示すものになる。変化の激しい環境では、この比重は頻繁に変わる。
上記のような、4つの基準の考え方が全マネージャーの共通認識になっていれば、どのようなことが起こるだろうか。

大きなスクラム(マネジメントチーム全員)でのコンセンサスはこんなイメージだ。 ある2000人の会社のマネージャー会議(本部長〜グループマネージャーまで、合計300人参加)で、CEOから「足元の業績は好調だが、10年後は今の時価総額を10倍にする計画を発表した。今の組織力では到底届かない。ゆえに伸帳を重視し、中期の成長を牽引できる人材で溢れる組織にしたい」「今後ますます生産年齢人口が減少し採用難易度が上がっていく時代に備え、1人1人が強く成長実感を感じ、そして育っていくような組織にしたい」「そのために、コンピテンシー評価をベースにした新しい評価制度を導入し、この制度の運用を通じて我が社に必要な能力を伸ばしいこうとしている。」「マネージャー各位はこの評価制度を活かしフィードバック面談を強化してほしい」と伝える。 伸張という共通基準が浸透している組織であれば、目的を十分理解できるので、わざわざ300人個別に人事が説得しなくとも、この活動が自発的に推進される。
そして、伸帳が重要だと理解している組織であれば、自ずとスクラム内の連携が行われる。ある部門で行われた効果的な面談例が全体に共有される、ある部門で出たクリティカルな意見が経営に共有され制度の運用ポリシーを一部変更する、など、共通の基準がベースになりスクラムの活動が加速する。

小さなスクラム(ある30名の事業部門で、事業部長1名・各グループマネージャー5名の計6名での会議)では、「下半期に競合との戦いに負けると、この後のシェア争いが厳しくなる」「ゆえに、執行重視で、会議よりも商談優先にする」という、執行という共通基準で優先事項を語り、大スクラムとは異なる、その部門固有の課題に対処する。 事業部長が下半期の方針を示し、会議よりも商談優先であるというメッセージを事業部メンバーに対して発したあと、矢継ぎ早に各グループマネージャーが実行に落とし込む。その過程でメンバーから出た意見をスクラム同士で共有し対応策を共に検討したり、あるグループでの成功事例を他グループに横展開するなど、スクラムの活動が加速化する。
変化の激しい時代においては、同じ会社といえども各ユニットで向き合っている課題が異なるはずである。よって、大スクラムの一員として全社施策を回しながらも、小スクラムで自部門特有の課題に向き合う。そうすることで変化に対応し、変化を創造できるチームになる。

共通の基準という目的が合意できていれば、マネジメント施策はスムーズに実行される。 共通基準で組まれるスクラムは、マネジメントのOSのようなものだ。 このOSがあれば、アプリケーション(施策)は、誰かに「浸透させられる」ものではなく、自発性を持って自ら企画され実行される。

そして、スクラム同士で共通のプロトコルがあれば、通信もできる。
ある小さなスクラムが経営に対し「全社的に進める評価制度の運用の件なんだけれども、うちの事業部は本当に今正念場で、執行90%の状態。自分たちでは新しい制度運用をやりきれ無さそうな状態なので、人事にサポートに入ってほしい」このような対話もできるのではないか。
いろんな単位でスクラムが回り、スクラム同士が通信可能になる。このようなOSがあることで、施策は生まれ、実行される。指揮命令系統がなくなるとか、権限が全員平等になるとか、そういうトリッキーなことを述べているのではない。シンプルには、「マネージャーが共通基準を持って、やるべきことを自ら見出し、自らやっていくような経営スタイルに変えましょう」という話である。

マネージャーは経営が決めた施策を末端で回す運用者ではなく、”ミニ経営者”だ。 経営はマトリョーシカのように、ミニチュアをどんどん作っていく。この考え方で、各ミニ経営者が自部門固有の課題に対処していきつつ、より自分を包み込む親マトリョーシカとも連動していく。
マトリョーシカであり独立した人形ではないことに注意する。全体の中にある1つの組織という位置付けを変えることなく、しかし部門固有の課題に対応していく。
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この章をまとめる。各部門異なる役割がある、それはもちろんそう。そこに、マネージャーという「経営機能」における目的となすべき事について共通基準を持ち運用する。その共通基準を通せば、組織はベルトコンベアーから有機的につながる宇宙の集まりになるという考え方だ。そのような有機体では、各部門のマネジメントスクラム、全社のマネジメントスクラム、それぞれが回り、全体施策も個別施策も同じ考えのもとスムーズに回されていく。
「基準」は日々そのウエイトを決めたり採点したりと運用可能なものだが、スクラム経営を進めるにあたり逆にいうとそれ以外の仕組みいらない。経営者を含むすべてのマネージャーがそれさえやればいい。
スクラム経営はマネジメントの捉え直しである。マネージャーという、各部門の業務をこなす役割とは別の経営機能に注目し、その機能に求められる基準を全マネージャーで共有することで実現する経営の概念であり、ホラクラシー経営のように何か特別な会議運営方法や役職の呼び名のような導入パッケージがあるわけではない。そのような大層なものではなく、またシステマティックなものではなく、一般的な組織に、共通基準さえちゃんと根付かせ確立すればスクラム経営は可能は話だ。
浸透する側、される側に分断されることなく、マネジメントに関わるメンバーが同じ基準を持ってスクラムを組めればそれで良いのだから。
組織開発の仕事の99%はマネージャーづくり
組織開発の仕事の99%は「マネージャーをどうつくるか」に集約される。
「組織開発」という言葉はここ10年ほどよく使われるようになったなという印象だ。だが、実際何を指しているのかは分かりにくい。 組織開発というと名前はかっこよく聞こえも良いのだが、実際のやることはとても泥臭い。やることはサーベイかもしれないし、研修かもしれない。体制変更かもしれないし、合宿運営かもしれない。時には問題社員とのタフな面談なのかもしれないし、事業部長の泣き言を真摯に聞いてあげることなのかもしれない。その1つ1つは、深い専門性がなくてもできることでもある。ゆえに人事未経験の人にもチャレンジしやすい仕事と捉えられがちである。しかし、業務それぞれは実行可能だったとしても、そもそも「何をするのか」を決めることが非常に難しい仕事だ。少なくとも、その会社に入って一日目にさあやりましょうなんて言えるものでもなく、その会社、その事業部を深く知らないと、何をすべきだなんてわからないはずだ。
なんせ、事業に資する施策を、商品開発や営業のような直接的な事業活動ではなく、組織活動において設計しようということなのだから、それはもう、とても難しい仕事だ。専門性は必要ないかもしれないと先に述べたが、逆にいうと業務のお品書きがない。その中で施策を考えることはとても難しく、高度な企画力を要する。
そして、私は「組織開発担当が”1人”でその組織を活性化し、事業拡大まで繋げられるような施策を設計し実行する」というような”夢物語”は不可能だと思っているし、そうある必要性がないと考える。色々な人とキャリアについて話す中で、この夢物語のようなイメージで「組織開発がやりたい」という人がとても多いと感じてるが、それには違和感がある。実際は、組織開発担当はそのような主役ではなく脇役であり、キラキラした仕事でもなんでもなく、泥臭くて地味な仕事である。
なぜその夢物語は不可能なのか?そして、そうある必要はないのか?それは、そもそも、1つ1つの組織を預かっているのはマネージャーだからだ。組織開発担当は直接その組織を見ているわけではない。その組織が背負う業績の成否に責任を負っているわけでもない。組織開発担当がその組織を自分の力だけで輝かせるような考え方は傲慢だと思う。
事業の中長期的な成長のためには事業施策だけではなく組織施策が重要であると認識し、その組織施策として何をしようかとすべてのマネージャーが考えられるならば、組織開発担当は不要なはずだ。先日ある有名企業のCHROの方と対談したが、事業部長の要望を安易に受けずその本人に「あなたの仕事ですよ」と、その要望を差し戻すようなことを推進されているようだ。HRBPの人員も減らしているようだ。「HRが何でも拾っていては、事業部長がマネジメントを自分の仕事だと思わないようになる。それが最も危ない」と述べられていたことがとても印象的だった。
組織開発の仕事の一丁目一番地は、組織施策まで自分で考え推進できるマネージャーを作っていくことではないだろうか。そのマネージャーを作らずして、「全部自分がやりました」なんていう仕事は、自分の証明ではあれど、経営のエージェントではないだろう。 自ら能動的に組織施策を考え、実行しようとするマネージャーをつくり、組織をつくる主役であるそのマネージャーを支援することこそが、組織開発の仕事なのではないだろうか。
組織開発という業務の責任者はその組織を預かるマネージャーであり、組織開発担当はそれを強力にバックアップすることが役割である。
ちなみに
リーダーシップとマネジメントって何が違うのか?と聞かれることがよくあるので私の考えを。 リーダーシップは「その人のあり様(Be)」だと考えている。人が見えていないものを見出しそれを力強く示すあり様、修羅場でも逃げずに最後まで戦い抜くあり様、など。人のあり様なので型化はできないし、しようとも思わない。
一方、マネジメントは「チーム運営行為(Do)」である。チームを運営するために何をするのかという行為ですので、型化できるし、それを社会に届けたいと考えている。
マネジメントを中心としたスクラム経営において、リーダーシップもまた大きな武器になると思うが、今回はスクラム経営の最低要件としての、マネジメントの基準について書きました。
マネージャーの評価基準
https://note.com/nagam/n/n8c3a7126a8e5
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